逆子に関する古典医書


今も昔も女性にとって出産が命がけであることには変わりはありません。まして昔では逆子で出産になるかならないかは死活問題です。ですから、古い医書には難産や逆子に関する記載が多いのです。参考のために一部抜粋してみます。

≪中国古典医書≫
『鍼灸甲乙経』
西晋代(265-316)ころの学者で書淫と呼ばれた皇甫謐(こうほしつ。215-282)が撰著したとされる『鍼灸甲乙経』十二巻(しんきゅうこうおつきょう。成立年不詳)がある。その中の婦人雑病には「女子字み難く若くは胞出ざるは崑崙これを主る。」とある。






『千金要方』『千金翼方』

唐代(618-907)の医家である遜思邈(そんしばく。581?-682?)が撰著した『千金要方』三十巻(せんきんようほう。650年頃成)婦人病には「字み難く若くは胞衣出ず泄風頭より足に至る、崑崙を刺して五分入る、灸三壮。」とある。また『千金翼方』三十巻(せんきんよくほう。682年生)婦人第二には「婦人逆産は足出ずる、足の太陰に針すること三分を入る、足入れば乃ち針を出す、穴は内踝の後白肉際陥骨宛宛たる中に在り。横産(分娩時に、まず手から出てくる)は手出ずる、太衝に針すること三分を入る、急いで百息を補すこと、足の大指の奇一寸を去る。産難月水禁ぜず、横生胎動するは、皆三陰交に針す。凡そ難産は、両肩井に針すること一寸、之を瀉す、須臾にして即ち生する也。」とある。

『経効産宝』
唐代の昝殷(さんいん。生没年不詳)により編纂された『経効産宝』三巻(けいこうさんぼう。847年に撰述)は中国最古の産科専門書であると考えられている。原書では 52篇であったものが、残存しているのは41 篇のみである。妊娠・臨産・産後の三時期の疾病と治法・処方とを記述している。上巻には産前・産中、中・下巻が産後の諸症状に対する処方という構成になっている。症例を先挙して、その症状改善に最適な処方を記載しているが、症例が非常に簡潔であり、具体性に乏しいという難点がある。897年に周頲らが書き加え現在の形になっている。


『諸病源侯論』
隋朝(581-618)の太医博士であった巣元方(そうげんぽう。生没年不詳)らが勅編した『諸病源侯論』五十巻(しょびょうげんこうろん。610年頃成)がある。病因証候学をまとめた初めての書物であり、急性伝染病から各種内科疾患や外科など、当時の病気の総まとめと原因にも言及している貴重な資料である。その中の婦人将産病諸候には産法、産防運法などの項目が記載されている。また婦人難産病諸侯には、産難侯、横産侯、逆産侯などの項目が設けられている。

『太平聖恵方』
北宋朝(960-1127)の翰林医官院(医薬行政を担当)であった王懐隠(おうかいいん。生没年不詳)らが編纂した『太平聖恵方』百巻(たいへいせいけいほう。992年成)がある。その中には「婦人横産、先手出ずるを救うに諸般の符薬は捷せず、婦人の右脚小指尖頭に灸するに三壮、炷は小麦大の如し、火を下すに立ちどころに産す。」とある。

『十産論』
北宋代の楊子建(ようしけん。生没年不詳)が著した『十産論』(じゅうさんろん。元府年間(1098-1100)に成立)はある。正産(正常分娩)の他に、催産・傷産・凍産・熱産・横産・倒産・偏産・礙産・盤腸産という種類の難産(異常分娩)に関する病因・症状・助産方法などが詳細に記載されている。

『鍼灸資生経』

南宋代(1127-1279)の鍼灸学者である王執中(おうしっちゅう。生没年不詳)が著した『鍼灸資生経』七巻(しんきゅうしせいけい。1220年刊)がある。その中の難産には「難産、衝門、難産を治す。子上りて心を衝き、息を得ず。張仲文は横産先づ手を出るを療するに諸符薬捷てず、右脚小指尖頭三壮、炷は小麦の如し、火を下せば立ちどころに産す。」とある。


『婦人良方』
南宋代の著名な婦科専門医で建康府(南京)の医学教授となった陳自明(ちんじめい。1190?-1270)が撰著した『婦人(大全)良方』二十四巻(ふじんりょうほう。1237年成)は婦科全般に関する専門書である。『婦人良方』は産科部門を、調経・衆疾・求嗣・胎教・候胎・妊娠・坐月・産難・産後の9項目に分類し、あわせて269の論を収め、方薬が付されている。すべての項目に妊産婦管理に属する禁忌や将理法が記載されている。





『神応経』『鍼灸聚英』『鍼灸大成』『類経図翼』

明代(1368-1644)には鍼灸の専門書が多く刊行されている。劉瑾(りゅうきん。生没年不詳)が撰著した『神応経』一巻(しんおうきょう。1425年刊)婦人部には「難産には合谷補、三陰交瀉、太衝。」とある。
高武(こうぶ。生没年不詳)の『鍼灸聚英』四巻(しんきゅうじゅえい。1529年刊) 婦人には「婦人月水利せず、難産す。子上りて心を衝き、痛みて息を得ず。気衝に灸すること七壮。」とある。
靳賢(楊継州の説は誤り)の『鍼灸大成』(しんきゅうたいせい。1601年刊)婦人門には「難産、合谷(補)、三陰交(瀉)、太衝。横生死胎、太衝、合谷、三陰交。横生手先出、右足小指尖(灸三壮立産、炷如小麦大)。」とある。
張介賓(ちょうかいひん。1563-1642)の『類経図翼』十一巻(るいきょうずよく。1624年刊)婦人病には「産難横生、合谷・三陰交。一に横逆難産を治すに、危うきは頃刻に在り、符薬霊かならざる者、急いで本婦の右脚小指尖に灸すること三壮、炷は小麦の如し、火を下せば立ちどころに産すること神の如し、蓋し此即ち至陰穴なり。」とある。


『本草綱目』
明代の李時珍(りじちん。1518-1593)が著した薬学書が『本草綱目』五十二巻(ほんぞうこうもく。1578年成)である。没後の1596年に刊行されている。同書には周産期の妊産婦管理に関する妊娠禁忌や妊娠将理法が記載されている。大きく「胎前」・「産難」・「産後」に分けられている。胎前の項は安胎(子煩・胎啼を含む)で構成されている。産難の項は、催生・滑胎・胎死・堕生胎の4項目で構成されている。産後の項は、補虚活血・血運・血気痛・下血過多・風痙・寒熱・血渇・下乳汁・回乳の9項目である。また「陰病」の項があり、陰脱・産門不合があるが、これらも周産期における妊産婦の症状として含められる。

『医宗金鑑』
清代(1644-1911)の乾隆年間(1736-1795)に太医院院判の呉謙(ごけん。生没年不詳)らを組織して編纂した大型医学叢書『医宗金鑑』九十巻(いそうきんかん。1742年刊)がある。その中の生育門には「難産之由は一端ならず。胎前安逸に眠を貧り過ぎ、惊恐気怯して早くから力み、胞は破れて血は壅ぎ漿は干す。」とある。




日本古典医書
『医心方』
日本は5世紀から大陸との交流が盛んになり、朝鮮半島から渡来した医師たちにより医学が伝えられた。7世紀以降は遣隋使・遣唐使が中国に渡り直接中国の文化を伝えた。平安時代(794-1185)初期は唐の影響を強く受け孫思邈の『千金方』などがよく用いられた。平安中期頃からは唐朝の衰退と並行して国風化が盛んになった。
日本最古の医学書である『医心方』三〇巻(いしんぽう。984年成)は平安中後期の針博士(宮内省典薬寮に属する職員のひとつ。従七位下相当)の丹波康頼(たんばのやすより。912-995)により編纂され朝廷に献上された。本書は『黄帝内経』『諸病源候論』『千金方』『新修本草』など当時、唐で使われていた数多くの医学書が引用されている。内容は内科・外科・産婦人科・小児科・精神科・泌尿器科・肛門科・養生のほか、現代医学にはない錬金術・呪術・占いなどから構成されている。巻二十二には胎教、巻二十三には産科治療が記載されている。

『啓迪集』『鍼灸集要』
安土桃山時代(1568-1598)の医師である曲直瀬道三(まなせどうさん。1507-1594)の『(察証弁治)啓迪集』八巻(けいてきしゅう。1571年成)がある。その中の婦人門には「灸法、難産及び胞衣下らざるを治す、至陰の二穴を灸す、三壮、又大衝の二穴に灸す。三壮を灸す。」とある。また『鍼灸集要』(しんきゅうしゅうよう。1574年頃成)難産には「横生逆産は薬効せず、右足小指尖頭に灸二壮、火を下せば立ちどころに産む。」とある。

 



『療治之大概集』『選鍼三要集』

江戸時代(1603-1867)前期の鍼医で総検校(そうけんぎょう。中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位)を務めた杉山和一(すぎやまわいち。1610-1694)は、鍼治学問所の教科書として著した杉山三部書(『選鍼三要集』『医学節用集』『療治之大概集』)がある。
『療治之大概集』(りょうじのたいがいしゅう。1682年頃成)婦人門には「産前には重き物を持ず高き所の物を取ず腹を立ざるものなり、必ず難産すとあり、まづ逆産は足を出し、横産は先づ手を出し、坐産は先づ尻を出す。是れ皆力を出す故なり。
手足先づ出すには手足の内を鍼にて一二分の深さ三つ四つ刺し塩を其の上へぬる、子痛みを得て軽々と引き入り返り生るゝなり(中略)難産分娩せざるには、三陰交・合谷・至陰に灸す。(中略)難産子母の心を握りて生れざるには、巨闕・合谷・三陰交。」とある。『選鍼三要集』(せんしんさんようしゅう。1682年頃成)婦人病には「産難横生、合谷・三陰交。」とある。

『鍼灸抜粋大成』『鍼灸阿是要穴』
江戸中期の医師である岡本一抱(おかもといっぽう。1654-1716)がいる。実兄は江戸文学を代表する近松門左衛門である。一抱が著した『鍼灸抜粋大成』三巻(しんきゅうばっすいたいせい。1698年成)や『鍼灸阿是要穴』(しんきゅうあぜようけつ。1704年刊)などがある。
『鍼灸抜粋大成』婦人には「(鍼)難産には、合谷・三陰交。(灸)横産逆産及び胞衣下らざるには右足の小指の頭に三壮 或は五壮尤も妙なり。」とある。『鍼灸阿是要穴』には逆産刺大陰や横産の項目がある。横産には「鍼灸聚英に出ず。横生の手先ず出ずるは右の足の小指の尖上に三五壮を灸す。炷は小麦大の如くす、効有り。産に臨むに手先ず出て横産する者は右足の小指頭の尖に灸す。按ずるに此の兪、属する所の正當の経穴とは未だ之を考えず。」とある。


『産論』『産論翼』
近代産科学のはじまりとして、著名な賀川玄悦(かがわげんえつ。1700-1777)と、その娘婿である賀川玄迪(かがわげんゆう。1737-1779)がいる。玄悦は母子を共に守る目的で出産用の鉗子を発明するなど産科医療の発展に尽くした。胎児の正常胎位(胎児が母体中で頭を下にしていること)を世界に先がけて発見したことでも知られる。賀川父子の長年に亘る研究と実践の集大成として玄悦が著した『(子玄子)産論』四巻(1765年刊)がある。坐草術として肛門保護や会陰保護の方法が記載されている。そして、玄迪は『産論』を補完し、新たに得た所説と懐孕図三十二図を付して『産論翼』二巻(1775年刊)を著している。

『和漢三才図絵』
江戸中期の大坂の御城入医師である寺島良安(てらじまりょうあん。1654-没年不詳)により編纂された日本初の図入り百科辞典『和漢三才図絵』百五巻八十一冊(わかんさんさいずえ。1712年成)がある。その中の懐妊胎孕には「横産、倒産(分娩時にまず足から出てくる)、急いで催生如意散を用いるか、産婦の右脚の小指の尖の外側(至陰)に灸をする。三回灸すれば平穏出産する。脇や額や背や髀より出産するものがある。」とある。

●『鍼灸重宝記』
江戸中期の本郷正豊(ほんごうまさとよ。生没年不詳)が著した『鍼灸重宝記』(しんきゅうちょうほうき。1718年刊)は、鍼灸師で知らない人はいないほど有名な鍼灸書である。その中の妊娠には「難産横産死胎には合谷を補して再び瀉すべし、三陰交、太衝。横産にて子の手を出さば、産母の右の足の小指の尖の上に灸小麦ほどにして三壮か五壮すべし。胎子、手足を出さば針にて手足の心を一分刺て塩をぬり、徐に送入れば子がへりして順に産す。難産には至陰三壮、又太衝三壮。」とある。

『鍼灸要法指南』
江戸中期の岩田利斎(いわたりさい。生没年不詳)が著した『鍼灸要法指南』(しんきゅうようほうしなん。1721年刊)がある。その中の婦人には「催生、産に臨んで生れ難く、或は胞衣下らざるに、三陰交・合谷難産は多くは是れ気血共に虚し、又気血凝滞して子轉運すること能はざる故なり。逆産は先ず足を露す。横産は先ず手を露す。坐産は先ず臂を露す。是れ皆いきむことはなはだ早くして力を盡す故なり。手足を露す者は針を以て手足の心を一二分刺し、塩を以て其の上にぬり徐々に送り入れば児痛むことを得て驚転し縮り即ち順に産る。産婦の足小指の尖に灸すること三壮立ちどころに産む。右足の至陰穴に灸するも亦佳なり。合谷・三陰交・大衝・崑崙・気衝。」とある。

『鍼灸則』
江戸中期の鍼医の菅沼周圭(すがぬましゅうけい。1706?-1764?)が著した『鍼灸則』(しんきゅうそく。1767年刊)がある。その中の婦人科には「難産の婦、皆な是れ産前恣にし、致す所は独り難産のみに非ず、且つ産後の諸疾皆な是れに由て生ず。鍼、三陰交・合谷・石門・関元。横産、鍼、三陰交・腎兪・合谷。横産は手先ず産門より出ず、手出づれば細鍼を以て掌中を刺すべし。逆産足先に出ず、鍼、関元・石門・三陰交。灸、右足小指尖に三壮、立ちどころに産む、炷小麥大の如くす。」とある。

『名家灸選』
江戸後期に越後守の和気惟亨(わけこれゆき。生没年不詳)が編著した灸の専門書『名家灸選』(めいかきゅうせん。1805年刊)がある。『名家灸選』には続編として平井庸信(ひらいようしん。生没年不詳)が著した『続名家灸選』(1807序刊)・『名家灸選三編』(1813序刊)がある。『名家灸選』婦人病・分娩横生手出ずるを治す法・医綱本紀には「右足小指の尖へ灸すること三壮、立ちどころに産す。炷小麦大の如し。得効方に云く、横生逆産諸薬効なくんば、急に産母の右脚小指尖頭の上に灸する三壮。即ち産す。至陰穴と名づく。適たま和華一轍の治法を得、いまだ試みざるといえども、効に応ずるの一奇法なり。」とある。

『鍼道発秘』
江戸後期の鍼医で検校である葦原英俊(あしはらえいしゅん。1797-1857)が著した『鍼道発秘』(しんどうはっぴ。1834年刊)がある。その中の難産には「難産の鍼、もし産することおそく難産とならば子安の鍼(安産鍼)を用ゆべし、痞根・章門・京骨を深くさすべし。又腎兪・大腸兪・陰陵泉・三陰交にひくべし。」とある。


東洋医学での考え方
東洋医学(中医学)では、逆子を下記のように考えています。

逆子(胎位不正)
妊娠30周後に現れる子宮体内の胎児の位置異常を指し、胎位の異常には臀位(骨盤位)・横位・反屈位があり、古典には倒産・横産・偏産の記載があります。臀位が最も多いとされ、胎位不正は難産の原因となります。
①気血両虚による胎位不正
気血の弱っている婦人が妊娠することで、ますます気血を消耗し胎児自身に影響するため、動きが無力化し胎位不正が起こります。症状は顔色が悪い、手足に力が入らない(四肢無力)、倦怠感があるなどの気血不足の症状を伴います。脈は滑(かつみゃく。盆に玉が転がるような感じの脈象)で、これは妊娠による脈象です。
鍼灸治療では至陰(しいん)に加え、関元(かんげん)・足三里(あしさんり)にて気血を補います。漢方薬では八珍湯(はっちんとう)。補血剤の四物湯(しもつとう)と補気剤の四君子湯(しくんしとう)を合わせた方剤などが用いられます。
②気機鬱滞による胎位不正
ストレスや情緒の抑鬱により肝気が滞ったり、寒邪を受けて気血が擬滞したり、胎児が大き過ぎて気機を塞いだり、どのような原因でも気機を滞らすことにより、結果として胎位不正が起こります。症状は胸部のもだえ感(胸悶)、お腹の脹り(腹脹)、よく溜め息が出る、気分が優れずうつ状態になりやすいなどといった症状を伴いやすいです。脈は妊娠を表す滑 です。
鍼灸治療では至陰に加え、気海(きかい)・内関(ないかん)・太衝(たいしょう)などで気の流れを促します。
③血滞湿停による胎位不正
妊娠後期に血や湿が内に滞り、気の流れを阻害して(気機不利)起こる胎位不正です。気の滞りのために血まで滞るとお腹が脹って痛む。 症状は水湿の流れが悪くなると尿量が少なくなったり、下肢の浮腫(足のむくみ)などを伴います。脈は沈弦で痰飲の内結を表すため、このような脈象になります。
鍼灸治療では至陰に加え、三陰交(さんいんこう)・陰陵泉(いんりょうせん)を加えることで血や湿の停滞を改善させます。


Copyright 2007-2016 tenyudou acupuncture clinic allright reserved.

  プロフィールページへ レコメンドページへ エッセイページへ リンクページへ プロフィールページへ レコメンドページへ

エッセイページへ リンクページへ ライブ情報へ 問い合わせページへ